ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

問題解決とゴールの設定

メンタルヘルスコンサルタントの視点

支援で大切なのは問題発生の構図をどのようにとらえるかということと、問題解決のゴールをどこに設定するかである。

実はメンタルヘルスの問題は、人間観・世界観の制約によって、どのような状態になることを目指しているかが不明確であることが難しさになっている。

以前も書いたが、心理学的視点では「適応」と「発達」を重視していて、問題の構図や解決のプロセスもこのレールの中にある。自我の強化、柔軟性、主体性の向上も入ってくる。

健康科学の視点では心身相関の立場からストレス発生の構図をふまえて、ストレッサーの低減やストレスの把握、コーピング(対処法)の実施、蓄積ストレスの解消法としてのリラクセーションが用いられる。復元力やホメオスタシスの向上。

しかしライフストレス研究の立場からは、上記の視点を含みつつも自分らしい人生を創造していくことができるかどうか。意思決定、自己実現といわれるテーマも入ってくる。

病因を取り除くという医学モデル、人間関係スキル、セルフコントロール力、つまりライフスキルの向上をめざす教育モデルの違いがある。

そして、私が重視しているのは「社会的視点」「集団的視点」「組織的視点」である。制度的。協業的なシステムを裏打ちしている精神性・共同の信念・価値観が、人間の健康で幸福な人生に密接な関係があるからだ。

しかし、援助とは介入法があってはじめて成立するので、集団的視点を評論家的ではなくて、臨床で持ちたければアセスメントや介入法をもたねばならないだろう。

しかし、私は次のように考えている。

人格と世界は合わせ鏡であるし、個人心理と集団の精神もまた合わせ鏡であって別物ではないと。

これは仮説であるが、集団で共有されている精神は、個人レベルでは潜在意識として扱うしかないが、集団レベルでは明確なものとして扱える。

個人と集団の視点を行き来することは、従来の顕在意識と潜在意識を行き来することに通じるのではないか。

ものぐさ精神分析岸田秀)を以前紹介したが、精神分析が社会や歴史に適用できるということも、この仮説を補強してくれるように思う。

師の美野田啓二先生は、無意識の座があるとしたら、それは脳神経が根を張っている身体(筋肉)こそ、そのありかだと言われていた。ソマティック心理学的視点であるが、美野田先生は、その身体は環境を写し取っているとも言っていた。

身体が表現しているのは、その人が存在している世界であるとも。

ここにも、個人心理が集団や世界へと広がっていくイメージが見出される。

もう少し、この記事の内容は掘り下げていきたい。