ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

自分と相手を分けない

出来事を前にして、それを受け止めて、次の行動を選択していく場合に、それが自分から出たものか、対象から誘われたものかを気にする人もいる。

それは「自分」と「対象」を分けて考えたので、そのような問いが生まれてしまう。

本当に自分で考えて自分で決めたのか、相手から誘導されたのかと。

しかし出来事は本当は一体であり、様々な要素の関係性によってできている。そこから「自分」や「相手」を取り出すことも可能であるが、その二つで説明しようとすることに無理がある。

たとえば、かわいい赤ちゃんが微笑んでくれたときに、こちらも笑顔になって抱きたくなるときに、自分がそう思ったのか、赤ちゃんが誘ったのか。

あるいはきれいな夕焼けをみたときに、自分を忘れて見とれているときに、自分が見ると決めたのか、夕焼けが自分を忘れさせたのか。

ときに、人間が勇気ある崇高な行為をすることがあるが、それを目にしたときに、自分も体を動かして手伝おうとしているときはどうか。

本当は日常での「主体的選択」もこのように自他の調和の中で起きていることがある。自我が開かれているのだ。

それに対して、自我が「自分」という境界をつくって、自分を保存しようとしているときには、自分発の感情や意志が明確になるだろう。

このときには、逆に相手がこちらを思ってくれていることにも気づかずに、独り相撲で怒っているときもある。

もちろん、肉体保存から発達した「自我」の保存作用は大切であって、自分を大切にするからこそ、相手も大切にしないといけないことが理解できる。

自分を保護・保存する傾向がない人がいるとしたら、相手の痛みにも気づかないだろう。

出来事を前にしたときの人間の選択のもつ豊かさに気づいていこう。成功も失敗もふくめて、その出来事にはすべて意味がある。