ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

家族問題と人間のモデル

これまで検討してきた理論的な道具立てが臨床経験に使えるのか。家族問題を例にして考えてみたい。

家族問題といっても、夫婦問題、親子問題、兄弟姉妹問題、嫁姑問題などメンバーどうしの関係性に分解して取り組むこともあれば、家族全体の問題、あるいは特定の個人と「家族」の問題として扱う場合もある。

また、本来は家族の問題として扱うことが妥当なのかもしれないが、あくまで「個人」の問題として扱われて、家族は被害者的な立ち位置にいる場合もある。

テーマとしては、価値観、金銭問題、愛情、コミュニケーション、性的問題、役割分担、仕事、子育て、習い事、趣味嗜好、娯楽、住居、単身赴任、親との同居、個人的自由・不自由、力関係、将来像・・・

きりがないが、そこに特定のエピソードがからんでクライアントからの相談を受けることになる。

問題として顕在化したときには、別居、離婚、浮気、不倫、浪費、多重債務、賭け事、喧嘩、家庭内暴力、役割放棄、コミュニケーションの断絶、不登校、出社拒否、家族の心身症精神疾患、ストレス過多・・

しかし、個人や家庭内に原因をすべて求めるのも現実的ではなくて、親類関係、地域、職場、学校など外部にこと原因があると考えらえる場合もある。

ただ、間接的には、家族関係が良好であれば、外部でのストレスの処理や問題解決も促進したと考えれば、家族の状況が関係しているとの見方もできる。

以前も書いたが、家族は本来、生きるための集まりであり、かつて一次産業を営んだり、家族で店を開いている場合など、だれもが自分にできる役割を果たして、支え合っているという関係性であり、家族のなかに生きるための要素が詰まっていた。

しかし、社会へと機能が外部化されていくことで、家族の中身は変化していった。とくに、仕事は職場ですることとなり、子どもたちは親が苦労して働いている姿をモデルとして目にすることができなくなった。

教育も乳幼児の保育、幼稚園、学童保育、小中学校、各種習い事、スポーツクラブ、学習塾というふうに社会化された。

ライフイベントのほとんども外部化された。出産、結婚、医療、福祉、介護、葬式。個人としての生物的な「生老病死」というテーマを家族で支え合うことから社会で支えるようにと変化してきた。

このような時代ゆえに、諸問題を「個人」対象に観察して対処しようとするのだが、実際には「家族」は人生にとって大きな影響を与えている。

ただ、かつての家族に関するイメージ・言説が、現在の家族の実態と合わなくなっているだけだ。

現在の日本の家族で、社会化されずに残った機能の一つは、「生活の場」の提供である。

逆説的にいえば、大人にとっては一日の大半を過ごす「職場」がお互いの人格を認め合って支えあって生きるという仲間と暮らす場所ではないということだ。

詳細は省略するが、かつての家族の機能にあったものが外部化されるときに、変質して失われたものがある。

家族がお互いに支えあいながら生きるために働いていた状況と、お金を稼ぐために職場で働いている状況の違いである。

この図式は、家で親の姿と言葉から生きるすべや知恵を学んでいた状況と、外部化された学校などで学ぶ状況の違いにも通じる。

家族以外の集団には欠けている全人的な交流を、ある意味、抜け殻のようになった「家族」に過剰に求めてしまうという課題がある。

話を冒頭の家族の諸問題に戻すと、現代では、個性化した自分を守りながら社会の中で負荷に耐えながら暮らしていて、家族のなかでは、その個性化した自分をそのまま認めてもらえると夢想してしまう。

家族がまとまるのは、そこに「集団的自己」があって、共通の信念・価値観・言説を持っているからだ。

現在の家族は、「個人的自己」の集合であって、感情的につながったり離れたりしている。

愛とは「感情」のことだと誤解されて、感情のすれ違いが起きると性格が合わないと認識される。

自然ー身体ー感情ー意志ー思考ー信念ー言説ー集団ー社会

という図式で考察してみる。

家族の感情問題は脳を含む身体に影響を与えて自然性を失わせてストレス過多の状態になると、さらに感情が不安定になり、行動や認知にも悪影響を与える。そして、身体・脳のストレスが解消すると感情も安定する。

実際に、ストレスケアだけで離婚などが解決した事例もたくさんある。

また、家族とつながりたいのだが、自分の信念ー言説が、メンバーと合わないためにトラブルが起きているとする。

「思考」は信念の配下にあるのでいくら考えても、信念は変わらない。

むしろ、意志を働かせて行動を変えていくことで、その体験によって信念が変わっていく。いずれも無自覚な変化になる。

行動化による自分自身の変容によってうまくいく場合がある。

また、自分を苦しめる言説から離れられないが、それは社会や世間で流布している言葉である。言葉を変えていくこと、コンサルタントと交わしていく新しい言葉が救いになることがある。

自然ー身体ー感情ー意志ー思考ー信念ー言説ー集団ー社会

素朴なモデルであるが、ここから考えていきたい。

そして、家族を考えるうえで、掘り下げないといけないのは、日本の家族が子どもがいる場合には「子育て機能」に特化しているという問題である。

アメリカなどを念頭におくと、核家族とは夫婦の愛情関係を基本とするものだが、日本では子ども中心になっている。

そこにある課題もまた明らかにしていきたい。