ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

信念・思考行動パターンの固着性と流動性

念・思考行動パターンの固着性・流動性の問題について書いてきた。

これは「集団的自己」と「個性化した自己」との関係でもある。

流動性の極致は「集団」のなかで、信念や思考・行動が一方に誘導されていく問題である。

戦争に突き進んでいったとき、なぜ止めることができなかったのか。

そのような反省にたって戦後は、個人が自分なりの信念をもって自分なりに考えて行動できるようにと家庭でも学校でも社会でも教育が変えられていった。

しかし、その一方で「国家」「地域」「家庭」が生存の単位であったのが、「個人」が単位となり、様々な心理的問題はパーソナリティーの中にあるとされた。

個性化した自己の保存とは、自分なりの「信念・思考行動パターン」を自分だとみなして、守り、変えられないように抵抗することだとされる。

集団の圧力で、他者の圧力で、自分の信念等を変えようとされることには断固として立ち向かうという時代になったのだ。

そして、幼児期から大人になっていく過程において、この自分(信念・思考行動パターン)が形成されていくとされた。

しかし、家庭はかつてのように生きるために支え合う実体をなくして、その機能は社会の中へと外部化されたいった。子どもは親の働く姿、生き抜く姿を見ることはできない。

家庭は、もっぱら、家族の交流の場となり、子どもがいる場合には、その養育が目的であるかに変質してしまった。

そして、その養育は親が生活の場で実践している信念や思考行動パターンをモデルにするのではなくて、子ども用につくられた「理想」を言語的な教育によって与えられることになった。

ともに生きる仲間として、共生の場での学び合いではなくて、つまり交感、交流、相互関係ではなくて、親が一方的に与える「言語教育」となってしまった。

もし、相互関係のなかで出来上がった信念等であれば、理想化・言語化されたものではなくて、実践性のあるものなら、子どもが属する集団が変化して、であう人が変わっていくなかで、信念等も変化していくことだろう。

しかし、「言葉」によって刻まれた「呪文」のような信念等は現実に合わなくても、それを変えることはタブーであって、結局、心身症や環境不適応というサインを示すことになる。

現実は複雑であって、どのような理想、理論であっても、当てはまるものではなくて、矛盾が出てくるのだ。そのために信念・思考行動パターンには柔軟性、言葉をかえれば「てきとう」である必要がある。あそびの部分がないと生き詰まる。

このような信念等の問題は、「理想化」だけでなく、様々な現実に適応しにくい性質がある。このようなビリーフの修正というテーマを扱った心理療法もある。

しかし、「言い聞かせ」で信念が変わることはない。自分の信念が現実に合わずにトラブルを生み出していることを見届けて、信念を固定することをやめるのである。

それが自分だと思い込まないで、その信念を変えることもできる「主体」のほうが自分であると考えることだ。

出来事のなかで、他者や集団との関わりのなかで、相互関係に注目して、自分が導かれている、気づかされている、そして一方では変化しているという実感を得ていき、新しい選択に基づいて行動した結果を積み重ねていくことだ。

信念・思考行動パターンの柔軟性をコントロールしている主体性が自分であって、経験のなかで変化していくことを自覚しよう。