ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

様々な階層でのコミュニケーション

自分 ⇔ 相手  階層別のコミュニケーションの視点

・・・・・・・

�@ 自然 ⇔ 自然 ・・・「調和」 自律神経、ホルモン、免疫、姿勢(筋バランス)⇔ 「リズム」「気」「バランス」・・・自然が与えてくれるものを人間から受け取る

�A 身体 ⇔ 身体 ・・・ 「筋緊張⇔筋弛緩」、視線、声の調子、表情、手ぶり、身振り、体の動き、スキンシップ、接触

�B 感情 ⇔ 感情 ・・・ ポジティブ感情 ⇔ ネガティブ感情 ⇔ 「拡張と収縮」「集団内選好 ⇔ 集団外嫌悪」 

・・・・・・・

�C 意志 ⇔ 意志 ・・・ 「攻撃的 ⇔ 非主張的」⇒ アサーティブ(調和的)・私もOK・あなたもOK 

�D 思考 ⇔ 思考 ・・・合理的ではない。信念に縛られる、感情に巻き込まれる、人間特有のアイアス(偏り)、本当に相手や自分の言っていることが正しいのか吟味する「批判的思考」(クリティカルシンキング)が必要。

一見すると思考と思考の交流にみえて、「感情」「信念」「バイアス」によるぶつかり合いであることが多い。

・・・・・・・

�E 信念 ⇔ 信念  (無自覚)変わりやすい表層的なものもあれば、人生脚本となっているような基盤的で変わりにくいものものもある。「認知」「ビリーフ」「スキーマ

お互いに思考や感情による相互理解がうまくいかないのは、この信念のギャップによるもの。

�F 言説 ⇔ 言説 自分の信念を形成している言葉、人生の早期に家族内で得たもの、時代精神として、社会に流布しているもの、傷ついた体験など特殊な状況で得たもの。他者の言葉で傷つくのは、自分の中にも同じ「言説」があって、自分で自分を責めているからだ。

�G 集団 ⇔ 集団 「言説」を成立させている集団。集団のなかで語られることで言説が各自の信念となる。この集団は精神的なものであって、今はない過去の集団で交わしていた言説である場合もある。Aの集団でえた言説をもったまま、Bの集団に所属して、Bの言説がみえない、習得できない場合には不適応を起こす。

�H 社会 ⇔ 社会 「個人」そして、個人の集まりである「集団」がさらに集まって社会を形成しているが、この社会のなかで人生を創造して何かの役割を果たして貢献していくということは、自分の中にある「信念・言説・集団」の相互矛盾を解消して、捨てるものは捨てて、新しいものを得ながら、「信念・言説・集団」の総体としての「アイデンティティ」を確立して「これが自分である」と自覚する必要がある。

そうでないと、役割が拡散してしまい、社会の中で努力を傾ける対象を見出すことができなくなるか、社会性の乏しいこだわりの中にのめりこんでいくことになる。

自分と相手の「アイデンティティ」で、向き合っているということは、自分にとっての社会と社会が向き合っていることになる。

以上、ラフスケッチのようなものであるが、コミュニケーションについて考える材料になるとともに、メンタルヘルスコンサルティングにも活用していく内容だと考えている。

私は、家庭、学校、集団のなかで、現代の問題は「一方的な介入」であり、「育てる」「教える」「助ける」「手伝う」といったものだ。

それが「育てあい」「学び合い・教えあい」「助け合い」「手伝いあい」になってしないことに、人間と人間の関係の歪みが生じているのだと思っている。

そこには、親は子どもとは立場が違う、先生は生徒とは立場が違う、専門的支援者は相談者とは立場が違うというような「力関係」「専門性」「職業性」「立ち位置」などが相互関係をつぶしているのではないか。

私がカウンセラーとして20年間取り組んできて理解した反省は、自分が相手を援助するという立ち位置であった。善意ではあっても、そこには歪みがあると思った。

自分が相手のおかげで変わらせてもらって、その分だけ相手も変わっていくことができるので、相互成長、相互学習、相互の癒しと回復こそが大切だったのではないか。そう思っている。

本当のコミュニケーションとは、相手との関わりのなかで自分のためにお互いが変容していくことだと考える。

相手は変わらないので、自分が変わるしかないという言説とは違うことを言っているつもりだ。