ライフストレス研究所だより

長年の経験を活かしてライフストレスケアという次世代の人間学を紹介しています。

悩みの世界から主体性へ

日常的な「個人心理的人間観」の世界で、大きな「不満、葛藤、傷つき」が起きて、目の前の出来事を受け入れたくない、これ以上主体的な行動選択をしたくないと苦悩する。

主体的なライフ(生命・生活・人生)創造をすすめていく勇気をなくしてしまうことがある。

そのときに、本来は背後で見えなくなっている「個別世界的人間観」の世界が開いて、他者と共有していた見え方が消えていき、すべて自分が思うように見えてくる。

心理学的には「自我防衛機制」と言われるものに似ているが、自分が傷つかないように世界の見方をゆがめて、それに沿った行動選択をしていくことになる。

この悩みの世界では、過去の体験も選びなおされて、ずっと被害者であったとか、ずっと愛されなかったとか、ずっと失敗してきたとか、今の受け入れたくない体験が拡大されて、自分の世界を汚染していく。

すると、先の予測もまた、それに沿ったものとなり、この世界、この人生はとうてい受け入れることができないと思えてくる。

これによって、何が起きるかというと、目の前の昨日と同様の受け入れたくない体験を受け入れないという態度が完成する。そして、この行動選択が繰り返される。

そして、実際のライフは刻々の行動選択によって創造されていくので、この背後にあった「個別世界的人間観」の世界が歪みは「個人心理的人間観」の世界の歪みとなって、恐れていた未来は実現していく。そして、さらに自分の不幸を確信していくことになる。

このような悩みの連鎖をとめるには、日常的な「個別心理的人間観」の世界に戻ってくることだ。目の前には、次々と新しい出来事がおきて、それには何の色もついてないはずだ。

足跡のついていない新雪が積もった雪野原のように、新しい日々が待っていて、どのように足跡をつけるのか、それは私たちの主体的選択に任されている。

私たちが知っていることは有限であり、不可知の世界が大きく広がっている。本当のことも、未来のことも、自分のことも、他人のことも、存在や人生のことも、私たちにはわかりはしない。

日々の出来事とは、そのような不思議なものである。それを自分のとらえ方で傷つき受け入れたくないと思ったところから、悩みの個別世界が開いてしまった。

だから、刻々の目の前の世界、出来事が自分には理解できない不思議なものとして受け入れるしかない。そのうえで、少しでも関心を持ち、観察して、理解しようとしよう。(自分の悩みの世界で決めつけてみるのではなく)

そして、自信をもって、誰からも強制されたりせずに主体的に、目の前の出来事を受容していこう。

そのうえで、他者を信頼し、他者に貢献しようとして行動を選択していこう。

希望の力とは、この記事のように「個別世界的人間観」にたった世界が仮にゆがんで汚染されていても、本当の世界は人間には不可知であって、何があるか分からない。そして、主体的な選択をしていけばライフはきっとよいものとして創造されるという信念である。